最近のテレビ番組は、ディスりネタ(DISりネタ)が受けがいいように思います。
ディスる=俗に、相手を否定する、または侮辱することなどを意味する表現である。
(Weblio辞書より)
ということなので、あまり、穏やかではありません。
また、面白かったらいいのか?
も考えたりしますが、ディスるって、笑いにつながるんですね。
そこで、火付け役となったのは、マツコ・デラックスです。
「月曜から夜ふかし」という番組は、街をディスり、デレクターやADをディスり、最近では、街の人にもディスっていますね。
このように、マツコの番組は、ディスりで笑いをとっています。
というより、マツコはディスるしか道はないのかも知れませんね。
マツコには、そういう、キャラなので仕方ないということでしょう。
なので、マツコというより、番組がそのようにさせて、視聴率を稼いでいるだけなんです。
でもこの番組、下町や一般人を馬鹿にして笑いをとっていることって、気分は、さほど良いものではありません。
こういうのが、子供のいじめに発展するように思ったりします。
といいながら、私は、この番組、毎週欠かさず観ていますね。
私も、人を馬鹿にされているのを見ると、笑いとなって気分をスッキリさせているのではないかと思ったりしまう。
でも、マツコの良さは、後でフォローしているので、好感はもてると思います。
そこで、マツコ・デラックスが出演している番組の内容を調べてみると・・
ディスる濃度は高いですが、普通より外れた・・・つまり、アウト(一般人より外れた)が好きなように思います。
そして、マツコにとって、番組内で食べることが最も好んでいるように思いますが・・・
月曜から夜ふかし
先程述べた、月曜から夜ふかしという番組ですが地域をディスります。
例えば、埼玉は・・・〇☓とか
足立区は・・・〇☓とか・・・
これって、知らない人がこの番組を見ると、「そうなんだ」と思ってしまいますよね。
そして、だんだん、この番組は頭に乗って、街の住人をディスるように変化してきました。
特に、イカれたおっちゃんやおばちゃんにインタビューして、反応をみたり、質問を投げかけて間違った答えを言わせて、笑いを取るというやり方です。
それで、このような一般人を巻き込んたネタにするやり方ですが、悪いとは思いませんが、年配者に今風の話題や言葉を質問して、間違った答えを言わせて笑いをとっています。
これって、レポートと言うよりも、そのような人をわざと選んで質問しているところが問題だと思います。
つまり、ヤラセの雰囲気がぷんぷんと感じるのですが・・・
偶然、街で出会った人に質問すると、とんでもない答えが・・・
そして、番組のナレーターは、その地域の人はみんなそうなんだと言うイメージをもたせて笑わせる・・・
例えば、埼玉はこんな下品な人が多いとか、下町は、暗黒街だと・・・
そういうイメージを持たせて、笑いをとる・・
これって、どうなのか?
有吉こそディリ芸人
そう言えば、マツコと共通するお笑い芸人といえば有吉ですね。
どちらも、ディスり芸人に違いないと思います。
というより、ディスりの本家は、有吉かも知れません。
売れる前は、自虐ネタでスタートしていますが、今は、ネタを芸人にふって、その芸人がすべったことをネタにして笑わせています。
また、有吉とマツコの番組の「かりそめ天国」が放送されています。
この番組では、マツコはおとなしく演じていますが、その理由は、有吉は同じ芸風だからだということと、マツコは有吉に一目置いているように思います。
いずれにしても、今後、ディスりネタは飽きられることと、嫌われる要素をもっています。
その証拠は、私がそのように感じるようになったからです。
それは、いいか?悪いか?は分かりませんが、この番組は概ね、やり過ぎだと感じます。
中年女性の毒舌キャラは昔からの流れをくんでいる
テレビ業界には、必ずと言っていいほど、毒舌おばさんが存在していました。
細木数子や浅香光代、野村沙知代が、その流れですね。
その流れをくんでいるのがマツコ・デラックスです。
なぜか、この毒舌おばさんキャラは長年に渡って存在しています。
これって、あるべきものか?
わからないですが、テレビ業界では必要だとするテーストかも知れません。
もちろん、私たち生きてゆく過程に於いて、愉快なことは重宝されます。
例えば、心が落ち込んでいるとき、「月曜から夜ふかし」を見ると、俺よりも馬鹿な人間がいる!
元気を貰った!
ということでしょうか?
笑いはそういう役目をしているのでしょうか?
と思ったりしますが・・・
どうなんでしょう?
今日は私が感じるまま記事にしました。